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シーズン
2021/08/03 -「謝罪会見 - その2 -」
2021/08/02 -「謝罪会見」
2021/07/30 -「難局物語 - エアコンは生きていた」
2021/07/25 -「混迷の時代!?」
2021/07/14 -「7連勤後の魂のおたけびオムニバス」
2021/07/06 -「うわ~、マジすか!?」
2021/06/26 -「【生】無意味無価値論を他人に...」
2021/06/22 -「世界一、大切な手紙」
2021/06/17 -「父の暴力について」
2021/06/10 -「生命と物質を思う」

2021年8月3日(火) 【更新日:2021/08/03】

謝罪会見 - その2 -

まず最初に、先日からコロナのことばかり書いてて、ちょっと読者様の不安をあおるような書き方だったかもしれないと思いましたので、謝罪いたします。誠に申し訳ございませんでした。

本日、クリニックに行って、主治医の先生から仕入れてきたコロナに関する情報を総括しますと、またもや、うわ~、マジすかと思わざるを得ません。コロナに言及したからにはと、責任を感じるので、憶えている範囲で、ココにも記しておきます。まず、変異株(デルタ株)についてですが、ウイルスというのは変異するごとに、毒性が弱まってゆくそうです。もともと毒性の弱いコロナなのに、さらに弱くなるそうです。インフルエンザのほうがコワイと以前から聞いておりましたが、これは間違いないようです。なんであんなにコロナの感染者が多いかというと、単に、感染力が強いというだけらしいです。死亡者数も、インフルエンザより、コロナのほうが圧倒的に少ないとのこと。後遺症が云々に関しては、感染すると、具体的には言及しませんがアレコレ気にして、メンタルをやられるせいで、体に不調があらわれるのだそうです。例えば、ハゲてしまうとかよく聞きますが、メンタルの不調のせいだそうです。さらに、あの某会長の出自を知ったら、数字だけ見て、オラオラのたまっていらっしゃる理由がよくわかります。とにかく、再三、情報通であり、エリート中のエリート(←いいすぎ?)の先生が「コロナは、ただの風邪」とおっしゃっておられました。他にもいろいろとうかがって、目からウロコ状態になったのですが、こういう情報は、テレビを見ていただけでは絶対にわからないと思います。私自身がその好例です。以前にもすすめられた、小林よしのりさんの「コロナ論」(マンガ)を読むと、こういう裏情報というか、テレビだけではわからないことがいろいろと描いてあるそうで、またすすめられたのですが、ちょっと今現在、わたくし、金欠でして...(泣)。どうしても、不安で不安でたまらないというかたは、読んでみられるといいかもしれません。小林よしのりさんのマンガは、私は「戦争論」などを読んだことがありますが、なんつーか、かなりアタマを使うマンガとゆー印象です(笑)。とはいえ、マンガなので、気軽に読めます。先生によれば、「コロナ論」は、第3巻だけ読んでも、おもしろいそうです。一応、検索などが、めんどくさいかたのために、広告リンクを貼っておきます(←ちゃっかり小遣い稼ぎ)。

   


日頃、仕事でも、やたら手のアルコール消毒をしているのですが、アレって、コロナにはまったくの無意味だそうです。私も以前から疑問に思っていたのですが、アレは単に、言い方が悪いですが、テレビに洗脳された人たちを安心させるためでしかありません。コロナ対策にはまったくなっていません。手の常在菌が死んで、手の皮膚が荒れるだけとのことです(汗)。

私は、人間は主観の生き物であるとゆー意見に賛同しています。そりゃそうですよね、他人の思いやデータ(客観)を聞いても、その結果生まれる自分の思いは、主観でしかないですよね? 屁理屈ですかね、コレ? 「他人を変える前に、まず自分を変えろ」とゆーモットーの根拠ですよね。

とりあえず、できるだけいろいろな意見を見たうえで、自分で考え、行動するというのは大切なことだと思います。と、一番それがわかっていない、めんどくさがりのオッサンが申しております(笑)。

でわ、例によって、ご参考までにどうぞ。

 

2021年8月2日(月) 【更新日:2021/08/02】

謝罪会見

先日アップしたワクチンについての記事でとりあげた厚生労働省の公式文書らしき資料は「ワクチン 死亡」でググっても、今現在、なんかしらんがヒットしない。どうやら、お決まりの私の幻覚だった模様。誠に、申し訳ございませんでした。もはや、いいわけでしかないが、他にヒットするニュース記事を見ると、ワクチン接種後の死亡例の数字はなぜかしら一致しているので、あの資料は一時的に存在はしていたのかもしれない。なにぶん、わたくし、心の病に罹患しているもので、重ね重ね、お詫びいたします(←詐病?)。モロバレ感パない謝罪はこのくらいにして、これに関連した資料が、厚生労働省のホームページに載っていたので、いくつか閲覧してみたが、完膚なきまでに平民(←わし)向けでない。誰に見てほしいのやらわからないが、ま、フツーか。とあるお医者さんが書いた記事に、「前後即因果の誤謬」という言葉を発見した。わかりやすく言うと、前後関係がある事柄に、因果関係があるとは必ずしも言えない、というものだ。ワクチンを打ったことと、その後に死亡したことには、因果関係はあるともないとも言えないということだそうだ。だから、誤った情報をうのみにしないでくださいとのことだが、いや、なんか、余計に不安になるのだが(汗)。前述の「ワクチン 死亡」というキーワードでググると、新たな関連記事がわんさかアップされているので、ご参考になさるとよいだろう。何度も言うようで恐縮だが、こればっかりは、読者様がいろいろな意見を見て、各々ご自分で判断するしかない。私もいろいろ見てみたが、ひどいとしか言えない事例が上がっている。私もお国に弱みを握られている人間なので、政府批判とかしていると、どえらいことになりそうなので、あまり過激なことは言えない(←弱小市民)。いろいろと記事を見るに、本当に、若い人たちの多くがワクチン接種に対して、懐疑的で、不信感を抱いているのだなということがわかる。このことが何を意味しているか、私はそこまで言及する勇気はない(←ヘタレ)。感染して死ぬより、ワクチン打って死ぬ確率のほうが格段に低いんだから、打てよ、って言われて、打てますか? ってところが重要ポイントだと個人的には解釈しているのだが、難しい問題だと思う。誰のために打てって、言っているのか、わからなくなってくるのだ。感染を防ぐためなら、自分のためでもあり、同時に他人のためでもある。しかし、ワクチンを打って、因果関係のあるなし評価不能のまま、その後、死ぬかもしれないと思ってしまったら、それは、誰のためでもなく、自分のために打つまいと思うのが自然では? 残された家族が大金をもらうことができるのだから死んでもいいと思うとでも? しかも、ワクチン打って、死んでも、4千万円確実にもらえるとは限らない。てか、今現在、接種後に死亡した700人を超える人たちの家族に国が4千万円支払った事例は皆無。評価不能だから支払う必要ないということなのだろうか。私としては、おカネを持っていない借金だらけの人から、大金をぶんどるという非道なことをしようとは思わない。冗談はさておき、くどいようだが、こればかりは読者様が、いろいろな意見を見て、ご自分で判断して、行動するしかない。

ちょっと最後に一つ、私が以前飲んでいた便秘薬のマグミットを飲んでいたかたが、ワクチン接種後に亡くなっておられるのだが...(大汗)。

以上、一意見として、ご参考にどうぞ。

 

2021年7月30日(金) 【更新日:2021/07/31】

難局物語 - エアコンは生きていた

■第一章■ ストレス解消法

中田さんのとあるYouTube動画を見てて、「反証」という、おもしろい言葉を知った。ストレスに、どう対処するかという動画のなかだったが、例えば、イヤなことを言われたり、イヤな考えにとらわれたりしたら、それに対して、反対の証拠を提示するという方法である。実はコレ、私はストレス(苦しいこと・考え・思い込み・妄想)に対して、自然にやっていた。なぜ、苦しい思いがずっと続くか? この反証をただ心のなかだけで処理していたからだとわかった。文章にして、紙などに書いて、可視化しておく。別にインターネット上にアップする必要は当然なく、紙などに書いたものを目につくところに置いて、毎日、読み返す。こうするとストレスが薄らいでゆくらしい。反証を心のなかだけで思うと、たしかにストレスが弱まるのだが、それだけでは、夜寝て、朝起きると、ほぼ忘れてしまい、強いストレスの感覚だけがまたぶり返してしまう。社会生活のなかでは、ストレスは不可避なので、とくにストレスを感じやすい人、何事もう~んと考え込んでしまうような人(←わし)は、こうやって反証を見つけて、紙に書いて、見えるところにストレスがやわらぐまで置いておいて、毎朝出かける前に読み返すと、けっこう良い効果が得られそうだ。私はめんどくさいので実際にはやっていない(←ダメじゃん)。

■第二章■ どうでもいいような、そうでもないような

ご存知のかたもおられると思うが、「見えぬものこそ」という言葉がある。私は、見えないものこそが大事、と解釈している。コレに対する私の一意見は、いやいや、「見えるものこそ」だろと。見えないものの大切さというのはわかる気がするが、絶対に、見えたほうがいいに決まっているではないかと思うのである。要は順序の問題で、第1位優勝が見えるほう、2位くらいが見えないほうなのでは? 「目に見えないと心から消えてゆく」ということわざがあるが、見えるものからしか、見えないものは生まれないワケで。見えないものがイイとか言い出すと、宗教性を帯びてくるような気もするし(汗)。宗教が悪いと言っているのではなく、自分は、見えるもののほうが断然イイと思う。それを、くもりなきまなこでしっかと見届けるほうが断然イイと思う。繰り返すようで恐縮だが、見えないものが生まれるのは、たいてい、その後だと思うから。

■第三章■ 残念なこと

先日、お客さんの一人、とあるおばあさんが亡くなられた。午前中、いつものように訪ねると、パトカーが止まっていて、玄関の外にたくさん靴がならんでいたので、なんだろとは思ったがフツーに玄関ベルを鳴らして戸を開けると、以前、ありがとうございましたと声をかけてこられたおじさんが出てこられたので、ブツを渡したところ、亡くなったから配達を止めてくれとのことだった。なにか一言、慰めのような言葉を言おうとは思ったのだが、何も出てこなかった。少々、大人として恥ずかしいことだったかもしれない。いつも、「イイおとこ」とか、「イイおとこ、きた」とか、おっしゃっておられた(←幻聴)ので、私のなかにはあのおばあさんの念が残っていた。そのせいだと思うが、しばらく、母が亡くなったときと同じような、胸のしめつけを感じた。帰りに一瞬、私、ポリスの方々に疑われているのかもと思ったが、事情聴取とかはなかった。心の病というだけで、なにかと差別されるのだが、だからどうこう言ったところで、絶対にそういう偏見とかはなくならないと、私は思っている(←コレこそ偏見?)ので、日々の行動、生き様など、懲りずに、地道に、お示ししてゆくしかない。

■第四章■ ワクチンは、打てば万事解決ではない、たぶん

コロナについて、いてもたってもいられないので、以下は、私の一意見として、お読みください。ワクチン接種後の死亡例は7月16日の時点で合計700件を超えている。ソースは「ワクチン 死亡」でググると厚生労働省の公式文書(PDF)がヒットするので、ご自分でご確認することをオススメする。こればかりは私がやいのやいの言ったところで、偽造文書の可能性もあり、ご自分でご判断いただくほかない。この資料によれば、専門家の評価は、ワクチンと死亡の因果関係が否定できないものが0件だそうだ。Fラン大学卒の私には、ぱっと見意味がわからない高レベルの日本語(二重否定?)だが、要は、因果関係がありげなのが0件だから、因果関係はまったくないという意味だと解釈していいだろうか。さらに、ほとんどが情報不足で評価不能とある。私としては、接種して死んだのに、因果関係がまったくないという評価がイミフである。私の周りでもワクチンを接種したという人がちらほらいらっしゃるが、集団免疫を獲得するためとはいえ、私には自己犠牲としか思えず、接種したせいで自分が死ぬかもしれないのだから、ひたすら高尚な精神だなと。緊急事態宣言をボンボン出すのはいいが、それなのに、IOC様の圧力に屈して、外国から選手を入国させて、オリンピックやってるとか、もうワケわからん状況。私的なことで恐縮だが、私の仕事は一応エッセンシャルなので、戒厳令が出たところで、毎日、クソ密な職場で働いている。他の従業員のかたがたはそのクソ密なところで、マスクを取って、フツーにメシを食ったりしておられる。デルタ株が流行りだして、若くても重症化するとかで、感染しても自然に抗体ができて治るんだから、気にしなくていいとかも軽々しく言えなくなり、詰んだ感が漂っている。何度も言うようだが、コレはオツムの弱い私のほんの一意見である。いろんな意見を見たうえで、ご自分でご判断いただきたい。現時点で、天下のIOC様も感染者が増えたのはワシのせいじゃねえとおっしゃっておられるので、この記事により、読者様がどうなっても、当然私のような下賤の者のせいではない(←にげた)。酷なことを言うようだが、ご自分で判断して、行動した結果、どうなろうと、それは、誰のせいでもない、自業自得としか言えないのでは? とりあえず、冷静に、自分で判断して、行動するしかない。一つ懸念しているのは、ワクチンを接種するのは個人の自由とか言っておいて、接種しない人に対して、差別意識が芽生えてしまうことだ。接種に不信感を抱いているのは、若者に多いらしいが、そりゃ、フツーに考えて、まだ若い人が接種して死亡とか、残された家族は4千万円もらえて、うれしいかもしれないが、夭折した本人は死後の世界で豪遊しろとでも? 冗談はさておき、接種を強制するとか、接種済証がなければ何もできんとかになるのが一番最悪のシナリオであろう。私としては、早々に接種して、それが良いことだと信じ込んでいる人が、なぜそう得意げにマウントをとったりしているのか、わからない。私なんか、アレルギーもちだから、大当たりしそうで、接種に対して、恐怖心しかない(汗)。まあ、私は四十路なかばだから、年齢的にはもう死んでもいいのかもしれない。毎日、しんどいし、未来に夢も希望もないワケだし、本気で惚れた女に逃げられたワケだし...(←は?)。冗談でなく、生きているからには何か、お役目がある、ココで死ぬ運命(さだめ)ではないと自分に言い聞かせて、ふんばっております。てか、この炎天下でヘルメットかぶって、長袖長ズボン姿で、作業していらっしゃるかたがたが、スーパー人間に思えて仕方ない。フツーにスゲエ...。

■エピローグ■ エアコンは生きていた

先日、血液検査した結果を主治医の先生にご説明いただいたのだが、アイム・ア・パーフェクトヒューマン状態だった(笑)。基準値がとても厳しく定められているそうだが、すべての項目の数値が枠内におさまっていた。自分でも、なんで、体脂肪率がこんなに低いのか、わからないが、よく考えると、節約生活で食費を削っていることが功を奏したようだ(汗)。一方、我慢できない暑さにたまらず、雷が落ちて以来、放置していたエアコンを恐る恐るつけてみたら、生きていた。今のところ、不具合もない。私生活はそんな感じだが、これから世の中どう変わってゆくのか、将来に目を向ける余裕がほとんどない。こないだ一本、1000字小説をとても久しぶりに書いたくらいで、小説を新たに書く気力もないし、作法も忘れた。ただ、このサイトにのっけている自分の作品をいろいろ読んでみると、意外とおもしろかった(笑)。とりあえず、何かに対処するには、インプットを怠らないことが大切だと思うので、アンテナは常に張っておかねばなるまいて。

ご参考にどうぞ。
 

2021年7月25日(日) 【更新日:2021/07/25】

混迷の時代!?

夏は誰でもそうなのか知らないが、フツーにしているだけで「しんどい」(笑)。四十路なかばとゆー歳のせいなのか、心身の不調のせいなのか、気分的なものなのか、とにかく、しんどい(汗)。こうして、キーを打つ行為もしんどい。栄養ドリンクを飲んだりして、まぎらわせているのだが、しんどいだけならいいのだが、「幸福の黄色いハンカチ」で、高倉健さんが流産ときいて、ちゃぶ台をバチコーンひっくり返すシーンがあるが、まさにアレをやりたくてやりたくてしかたがないのだ(笑)。ストレスとゆーか、フラストレーションとゆーかが、たまってゆく一方なのである。それらを解消する方法をまったく知らない。ただ、唯一、ない頭なりにアレコレ考えながら、文章を書いていると、不思議としんどい気持ちやフラストレーションが鎮まってゆく。これは実におもしろい現象である。ほうっておくと、おカネさえくれれば、スイスに行って、安楽タヒしてくるからなどと、ガチマジで言い出しかねない状態だから、コレはたぶんだが良いストレス解消法であろう。なんでこうなったか、思考回路が自己否定になっていて、もはやそれは、思考ではなく、感覚になっているのである。それを回避するために、今度は内ではなく、外へ攻撃し出す。調子が良いときというのは十中八九、この外への攻撃を是認している状態で、言い換えるとするなら、勝ち気な精神状態である。攻撃といっても、もちろん、実際になにか、暴力をふるったりするワケではない。今ふうの流行り言葉でいうなら、「マウントをとる」とゆーことである。要するに、優位性のアピールである。しかし、コレは実におもしろいことに、私だけでなく、某SNSなどを見ていても、フツーに誰でもやっている(笑)。ちょ、おま、いいすぎだろってことをフツーに、ほとんどの人がと言っていいくらい、やっていらっしゃる。そういうことを、功罪はさておき、フツーの人がフツーにやってしまえる時代なんだなと改めて思った(←今頃気づいたの?)。ただ、今はどうか知らないが、私の旧友はSNSを一切やらんぞと豪語していた。バイクでしらみつぶしにアチコチ行ったりして、将来的にはハーレーに乗るとか言っていたが、私としてはとっても自由に、有意義な人生を送っているように見え、うらやましささえ感じた。もちろん、それなりに悩みなどもあるのだろうが、いいよなと。このところ、まったく連絡を取っていないのだが、私はそういう、SNSをやらない人がとっても賢い人に思えて仕方ない。私が思うSNSの良いところは、一言でいうと、権力を弱体化させている点である。指摘されるまでまったく意識していなかったフレーズだが、今は「混迷の時代」だそうだ。世情が混乱してくると、たいてい宗教の力が強くなってくる。どう考えたらよいかわからないので、答えを求める人が多くなるのだと思われる。先日、YouTubeにて、仏教のお坊さんが開設していらっしゃる人気チャンネルを発見して、いろいろと観ていると、とても納得できる内容ばかりで、そりゃ人気だわと思った。ただ私は卑怯者だから、仏教には入らない、考え方の良いところだけをパクらせていただく(笑)。てか、一応うちは曹洞宗だった(汗)。頭のなかは無宗教だが、お墓があるので、護持会費などは滞りなく支払っている(←なにげにしんどい)。ズラズラ書いたが、今回の記事で、一番言いたいのは、ウケ売りでもあるが実感していること、頭のなかで理論などがわかっていても、大切なことがなにかわかっていても、実行実践するのはけっこう難しいということだ。その壁を、強い意志をもって突き抜けた人、ブレークスルーした人、そういう人が本当に清らかな青空を見ることができるのだろう(←カッコつけすぎた)。

 

2021年7月14日(水) 【更新日:2021/07/14】

7連勤後の魂のおたけびオムニバス

■パート1■ 憤死不可避!

つい先日、雷がエアコンに落ちました(笑)。光った瞬間、バチっ! 動き続けてましたが、電源を切りました。その後は、怖いので、生存確認しておりません。最初は、雷に腹が立ったのですが、ちょっと待てと、無知だった自分に憤慨する以前に、いまだに雷ごときで家電がめげてしまうのかと、矛先がメーカーさんに及びました。これはほんの一例ですが、こういうメーカーさんに対して腹が立つことが多すぎて、ホントに憤死してしまいそうです。例えば、食品です。めっちゃ開けにくくしてあるの、なんでなんですか? ペットボトルなんか、あのキャップ、お年寄りが開けられると思いますか? 私でもキツイと感じます。加えて、ゴミでしかないラベルいらんゆーのに。箱売りだと個々にラベルをつけていないメーカーさんもようやく登場してきたようです。捨てるとき、当然はがさにゃならんのに、これまた、はがしにくくなってるってゆー。3倍以上、ストレスでしんどい。さらにいえば、なんであんな倒れやすいボウリングのピンみたいな形なんですか? ペットボトルを一例に挙げましたが、他にも、食品関係には、腐るほど不満があるんです。もっと言いましょうか? 独りもんなのに、自炊しないだけで、なんであんなに弁当や惣菜などのガラが大量に発生するんですか? ゴミを減らせってのは、消費者でなく、メーカーさんに言うべきことでは? てか、食品は全部、バイキングみたいにして、タッパーとか容れ物を持参すればいいのでは? マイ・バッグ制にしたついでにどう? ──はい、このあたりになると、ようやく気づき始めます。結局のところ、メーカーさんはおカネにならないことは絶対にしてくれません。資本主義の大前提ですね。電気自動車が普及しないのは給電スタンド(?)をつくるコストがキツイからって、聞いたことがあります。話飛ばしますけど、前述した雷とかの自然現象、大雨、台風、地震、津波、山火事など、これらを根本的になくす方法って、どなたか考えてらっしゃいますか? 自然災害って、やられっぱなしですよね? 某最高学府の学生さんたちは他より優秀であるという優越感を得るために勉強してきたため、大学に入ると自分より優秀なやつがいっぱいいるせいでショックを受けるそうで、卒業後の目標が、成功することだそうです。ソースは出せませんが、現役のその大学の学生さんが書いたという記事に、自分の大学の学生たちはみんなだいたいこんな感じですってありました。やる気がないよりはマシだと思いましたが、成功したいんだったら、なにが本当の成功だと言えるのかを一回考えてほしい。今の世の中では、まず第一にとにかく、カネもちになること、経済的に豊かになることが成功であると、おそらく思っていらっしゃるのでは? 順番はそうでなくて、どこまでいっても、今のままでは、ヒエラルキーがなくなりそうにないアンフェアな世界、最高の医療が整っていても、おカネがなければ受けられない、女性蔑視がなくなったところで、他にもわんさと差別がある、前述した自然災害にはいまだにやられっぱなし、とかいったことを改善してゆくことが第一。例えばですが、そういう類のことに尽力することが本当の成功につながるんだとぜひ思ってほしい。えらそーに言うようですが、じゃ、おまえがやれよって思われるでしょう? やろうと思っても、私には権限がない、せいぜいホームページ内で吠えることくらいしかできないんですよ。しかし、あなたがたはやろうと思えばできるステータスを勝ち得ているんです、すでに。カネにならんからせんとか言わず、この世界のダメなところをより良いほうに変えた人こそが本当に成功した人だと言えると、私は思います。すみません、えらそーに言いすぎですが、正直なところです。

■パート2■ ココロの状態がわかってきた話

YouTubeでメンタリストのDaiGoさんのライブのログをいくつか観てて、おお、コレは! と納得した話です。てっとり早く私なりにご説明いたします。要は、普通の人の脳回路と、創作に向いている人の脳回路がやっぱ異なってるんだってことを、わかりやすく解説してくださってました。普通脳は自動的に、いらんのをスルーして、いるのだけを取っているそうです。しかし、創作脳は、入ってきたのを全部受けとめて、自分のものにするそうです。誹謗中傷などと被害妄想的に受けとると人生の損失だとか言っているレベルではありません。それらも含めたすべてだからです。したがって、頭のなかは、たいていぐちゃぐちゃ混乱状態です。それらの一見関係ないような点と点がつながったとき、アイデアとなるそうです。しかし、欠点があり、ネガティブ思考におちいると長期間ずっとそれにとらわれてしまうそうです。気分が落ち込みやすいかた(私もですが)は、もしかして創作脳なのかも?とポジティブに考えて、例えば、文章などをつづってみるといいでしょう。私が最近やっているように、思っていることを文章にしてみると、けっこう心がスッキリしますよ。私の場合は完全にこの創作脳のパティーンに見事に全部当てはまっていたので、占い師にどう生きてきたかをずばり言い当てられたような気分になりました(汗)。よくこんなことをご存知だなと思って、ネット上に載っているDaiGoさんの来歴などを拝見すると、幼少期にいじめられてて、しまいにブチギレた点が、私とまったく同じだったので、おもしろいと思いました。ただ、違う点の一つは、ブチギレたことで、周囲の態度が変わったのを見て、自分の行動一つで世界を変えることができると考えるようになった、という前向きなとらえかたをしておられるところです。この一文を読んで、とても感心してしまいました。私の場合は、そこまで考えが及ばなかったものですから(汗)。私より、約10歳、お若いようです。某テレビ局に反感を持っておられる点も同じですね(笑)。ついでながら言っておくと、私のなかでも、あのテレビ局だけでなく、テレビ全般、もっと言えば、マスコミへの信用度はあまり高くないです。唯一、若い女性ニュースキャスターさんをじっくり観察できる点が私的高ポイントでしょうか(←オイ)。

■パート3■ ひとことモノ申す - その1

具体的には言わないでおきますが、愛されることしか知らない子供たちに向かって、愛は一番じゃないって言うな! ふう、スッキリした(←けっこうガチ)。

■パート4■ ひとことモノ申す - その2

年金から税金を払わせて、受給者になんのメリットがあるの? もらったおカネをなぜか返した、ただそれだけの話ですよね? 年金の受給って、借金なの? わけわからん(←認識不足?)。おカネに関しては、自国民の救済よりも国際貢献を優先していらっしゃる模様。わが国では、学校でおカネの授業がないせいで、武器の使い方を知らないまま、戦場へ駆り出されます。挙げ句、おカネに対して、おカネもうけすることに対して、嫌儲主義などのように、ヘンな考え方しかできない人が多いようです。かくいう自分も、おカネに関しては、ほとんど無知に近いですね(大汗)。だって、ニュースで必ず株式市場がどうのこうのってやってますけど、私にとっては無味乾燥で、むしろ、気分が悪くなる、お目汚しでしかないですもん。学校で株のことを教えてもらった記憶が皆無ですし...(汗)。これに限らず、大人になって、必須的なことを、少なくとも義務教育では教えていないことが多いですよね。かと思えば、ネイティブが使わない、とんちんかんな役立たず英語をいまだに教えてるんですか? 現状を知りませんが、昔習ったあんな英語がビジネス・シーンなんかで、使えるワケがないですよね。要するに、すべて、菅総理がおっしゃるように自助が先。とにかく、まず第一に自助。まずは自分でやれと。まさに、「天は自ら助くる者を助く」。誰でも知ってるこの法則ですが、私自身の認識は甘かったと言わざるを得ません(泣)。とっても賢い、手練れの上級者のかたがたは英語ペラペ~ラで、次々と亡命、いやもとい、海外移住しておられる模様。うらやましすぎる(←ホント)。

■最後に■ 毒食らわば皿まで

末筆ながら、少々毒が入ってしまった点をお詫びいたします。ただ我ながら、毒入り文章だらけで、集団いじめの温床である某SNSと同じくらいトレンディでは? とりあえず、ほんの一意見につき、ご容赦いただければ、幸甚に思います。

どうでもいいけど、なにげに白髪が生えてきました(←心労)。
 

2021年7月6日(火) 【更新日:2021/07/06】

うわ~、マジすか!?

本日は仕事の日程が変更になったため、1週間繰り上げのクリニックの日とあいなりました。行ってきたんですが、主治医の先生のお話はさすがに毎回ためになることが多く、今回も「えー!?」と思うことがありました。具体的な内容を書くと、読者のみなさんが混乱するという以前に、私自身にはえらそーにのたまう権限はないと思うので控えておきます。ただ、ひとつだけ、自分も以前から思っていたことと同じことを先生がおっしゃられたので言っておきますと、専門用語でインフォデミックとゆーらしいですが、メディアが報道することをほとんどの人がうのみにし過ぎていると実感していました。というのも、自分もほとんど、ネットニュース(ライブテレビ)しか見てなかったからです。テレビなどは、結局のところ、都合のよろしいことしか流していないので、さもありなんな状況になってしまうワケですけど、まあ、一般の大多数の人たちが本当のことを知ろうと思ったところで、手段がないですよね。先生がすすめてくださった小林よしのりさんの「コロナ論」という本を読むと謎が解けそうですが、あいにく自分は先立つものがないので、入手困難なのです(汗)。ご興味があるかたは読んでみられるといいと思います。アマゾンで表紙だけ見ましたが、とっても、おもしろそうです。なぜ、医療現場がひっ迫しているのか、なぜ、ワクチンを接種することが良いことだとなっているのか、なぜ、インフルエンザよりもコロナがフィーチャーされているのか──私が言えるのはこの程度のなぞかけです。あなたが事実を知ったとき、どうなるか、私には一切の責任が負えませんので、何度も言うようで恐縮ですが、つっこんだことに言及するのは控えておきます(汗)。とまれ、今回はデスマス調で書きました。ご賢察のとおり、自分、気分屋ですから(笑)。
 

2021年6月26日(土) 【更新日:2021/06/26】

【生】無意味無価値論を他人に当てはめてはいけない理由

生きることを無意味で無価値だと思ってしまいがちなのは何も、罹患者に限ったことではなく、健常者でも「ミッドライフ・クライシス」(中年期の精神的危機)と呼ばれ、8割の人が経験することだそうだ。こういった人たち(私も完全に中年オジサン真っただ中)が、これらを論ずる際に、一番やってはいけないのが、他人にも当てはめることである。自分がそう思うのは一向にかまわないが、おまえの生命(人生)は無意味で、無価値だ、と他人に向かって言ってしまうと、それは人殺しのセオリーでは? そう思っているから、殺人が起こるというのは早計かもしれないが、はたして、それで他人の生命を尊重することができるだろうか?

話が飛ぶが、私は最近、都会の人と田舎の人の考え方のギャップがひどいことに今更のごとく気づいた。昔はしきりと環境問題が取りざたされていて、自然、緑、生き物というのは本当に大切なんだなと思い込んでいた。これは十中八九、都会の人たちから発信される情報(ニュースや映画など)によるものだったと言っていい。しかし、田舎の人(私)が思うに、自然は言うこと聞かないし、災害が多い、緑? ...雑草・雑木の勢力が半端なく、害虫などの巣窟になるし、管理しきれない、生き物? ...悪さばかりする ── というふうに、自然のある環境に対して、煩わしさしか感じないし、嫌悪感すらある。やつらが人間の思いどおりになる、良いものとはとうてい思えないのだ。ああいう考えかたは完全に都会の人たちが考えつくものだと言っていいハズ。コンクリートの森しかないような所なので、わざわざ土の地面をこしらえて、雑草を植えたりするような、都会の人たちが。ああいうのを見ると、アタマだいじょうぶ?としか思えない。彼らからすると、雑草対策と称して、土の地面にコンクリートをかぶせようとする田舎の人(私)のほうこそ、アタマだいじょうぶ?なのだ。

これらのことから、なにごともたいてい一意見なのであって、この考え方が絶対だから、絶対こうしろというのは間違いである場合が多いということがわかるだろう。右翼的考え方と左翼的考え方のバランス、それぞれの良いところを採用して、世界を形づくってゆくのが大切であることとよく似ている。

そこで、最初に話を戻すが、私が、生きることには意味と価値があるのだ、と唱えているのも、一意見なので、誰かに強要する気はまったくない。ただ、生無意味無価値論という一意見に従っている人がはたして、よりよく生きてゆけるのだろうかという疑問がある。繰り返すが、後者は絶対に他人に当てはめてはならない。だって、「タヒね」と言うのと同じことだから。生きることに意味も価値もないと思いながら、生きてゆくのはかなり困難だと慮られる。ついこの前もSNSで、あなたには生きる価値があるんでしょうか?と心無い中傷をされて、自ら命を絶ったかたがいらっしゃった。酷なことを言うようだが、生きる意味や価値は、一人一人自分自身が見出し、定義しなければならない。そういうことをしたくない、生きることには意味はないよと言うのは、自分の中だけで唱えるべき案件である。生粋の広島人に言わせれば、「じゃけんどしたん?」(だからどうしたというの?)レベルの話である。生無意味無価値論は、中年期の大多数の人がおちいる陥穽とはいえ、他人に当てはめると、他人の生命を軽んじていることになるという点で、使用方法(対象)を間違うとかなり危険な考え方と言えるだろう。

「人間の命は地球よりも重い」という有名な言葉がある。最近では、いや、地球(人間以外の生命も含む)のほうが重いから、とゆー風潮になっているそうだが、私は、比較せず、「人間も地球も、どちらも等しく重い」と言ってほしい。生命は、意味や価値が、あろうがなかろうが、みな等しく、重い。
 

2021年6月22日(火) 【更新日:2021/06/22】

世界一、大切な手紙

母が亡くなって8年目にして、ようやく母屋の整理整頓をする気になり、少しずつ片付けている。部屋にはほとんど要らないモノばかりがひしめいていて、それらは、粗大ごみの日に少しずつ出すしかない。床にはカビが生え、ネズミの糞が転がり──まるで、「ハウルの動く城」でソフィーがなかばヤケで大掃除するシーン、まさにアレ状態!(笑) ...小物、書籍などは確認しながら、取捨選択してゆく。そんななか、極めて重要なブツを発見した。それは、私が二十歳の誕生日のとき(当時、岡山県のとあるマイナーな私立大学に通っていた)、母が書いて送ってくれた手紙である。コレは本当に、世界一大切と言っても過言ではない。実は、昔もらった古い手紙に触れたのは今回が2度目である。前回は、旧友にもらった手紙。どちらも、冷汗が噴き出るほど、今の私の胸に突き刺さる内容だった。母にもらった手紙のなかで印象的な言葉「意義ある人生」。意義の意味をあらためてググってみた結果、賢者モード不可避の内容が掲載されていたので、ココに引用しておく。” 行為・表現・物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい積極的な(すぐれた)価値。” ...とあった。意義ある人生とは、これからすると「価値ある人生」と言い換えてもいいだろうか。誰とは言わないでおくが、とある人によれば、生きることは無意味・無価値だそうで、そういう人に限って、意味をこじつけて生きておられるように思われて仕方がないのだが、私はホームページの理念にも掲げているとおり、生きることには意味と価値があると思っている。それらを言葉で説明できなくとも、あると思わずに、生きることがはたしてできるだろうか? おそらくだが、できる。そういうことを意識しないほうが、できる。しかし、私はできない。なぜなら、「グリーン・マイル」のコーフィーなみに、毎日、聞こえてくるからだ。なにがって、なにかしら、責めたてられるような声が。このような心になってしまった以上、答えを常に探求していなければ、気分が悪くなり、やがて心が荒廃してしまう。そしてなにより、常にポジティブに、前向きであらねばならない。意味とか価値を考えないで生きるほうが普通に生きれるに決まっている。しんどいものの、こうして文章を発信することによって、同じ悩みや病に苦しむ人の一助になればとの思いで、これは本当にキレイごとで言っているのではなく、誰かの役に立ってほしいという一心でキーを打っている。これも誰とは言わないでおくが、自分の心地いい世界で、自分のためだけにやっている(生きている)、とのたまわれたことがあるが、私は殴りに行きたいほど、激怒した。ということは確実に、誰かのためにという思いがあるからにほかならない。本当に、かっこつけで言っているのではなく、私は、妙諦的な答え(一意見)のシェアが、たぶん、良いモノなのだと思っている。私は独善家ではないので、自分の意見だけが正しいとは言わない。しかし、なにがしかの希望的観測にもとづいて、発信しているハズだ。それが自分の心地いい世界で、自分のためだけにおこなっているというなら、それのどこが悪いの? ...と、言いたい。話を戻すが、母の手紙にはこうもあった。「大人には大きな責任が課せられる」と。私は一応、どちらかというと、責任感は強いほうだ。余計なことを言ってしまう癖があるくらいに。母や友人が、私みたいな人間(←廃人?)に親身にアレコレ考えて手紙を書いて送ってくれた、ただそれだけの事実を知ることのできる、これらの手紙のお宝感がパない!!(笑) ...とまれ、もらった手紙をタイム・カプセル的なものに入れておくと、未来でおもしろい現象が起こるらしい。お若いかたは、やってみては?
 

2021年6月17日(木) 【更新日:2021/06/17】

父の暴力について

何を隠そう、私の親父は暴力オヤジだった。野球中継を観ながらの晩酌で、ファンであるカープが負けると、激昂して、当たり散らす毎日だった。モノに当たるのならまだいいが、母や息子の私に手を上げるのだから、たまったものじゃない。あるとき、父に叱られたか何かで、私が部屋の戸をすべて閉めてやったら、激怒した父が無言で思い切り私の頬を平手打ち! 小さかった私は吹っ飛んで、水屋にぶち当たった。情け容赦ない、渾身の一撃だった。またあるときなどは、薬の入った菓子缶を母に投げつけ、母は頭から流血。泣きながら実家に電話する母を今度は足で思い切り蹴飛ばした。母は低い玄関の土間に転げ落ちた。私と弟はただわんわん泣きながら見ていただけだった。あのとき、どんなに親父につかみかかりたかったか。

今あれを思い出すと、父がなぜああだったかが、わかる。というのも、息子の私も、あら、これは親父と同じ心のパティーンじゃないのかと思うことがあるからだ。私の患っている心の風邪は、結局は、イリテイト(イライラの度合い)がどうかというのが、どうやら、診察において、重要事項らしいことに気づいた。ググったりしても、自傷他害のおそれがあると、ブタ箱にぶち込まれるとある。親父や、父方の祖父もああいう暴力的な、最悪な漢だったらしいので、血は争えんなと...。一方、母方のほうの男たち、とくに、祖父はとても穏やかな、いい人だったと、伯母によく聞かされたものだ。

ドSとドMが合体して、私が生まれた(笑)。そのせいで、私の性格は二つの面を持つに至っているらしい。私が暴力をふるっていたのはたしか高校生のときまでで、しかも、弟にしか、ふるわない、いわゆる兄弟げんかはよくやっていた。おかげで弟はそれがトラウマになっているのか、いまだに根にもっているようだ。弟以外に暴力というと、中学生のときに、いわゆる不良と呼ばれていた同級生が、しつこくいやがらせをするので、ついにキレたことがある。他にもささいなことはあったと思うが、すべて未成年のときだった。大人になって暴力(身体的暴力)というのは記憶にない。大人が暴力をふるうとどうなるか? ...ご賢察のとおり、ブタ箱行きである。暴力には3つ形態があるそうで、身体・精神・性となっている。私は、精神障碍者の精神的苦痛が非常にしんどいものだと、身をもって知った。しかし、そのせいで自傷他害が起こるとは、悲しいことだ。服薬をしっかりして、自分の状態を自分でちゃんとコントロールしていかねばならないと自戒する。

とまれ、話を暴力オヤジに戻すが、あの当時からすると、今は医療がずいぶん進歩しているし、薬も良いものが開発されている。ああいう修羅場を経験したのは悲劇だったとしか言いようがないが、父は良い反面教師だったと、今はしみじみ思うのである。しかし、あの父にも、良いところはあったと、最後に申しそえておく。
 

2021年6月10日(木) 【更新日:2021/06/10】

生命と物質を思う

自分が死んだら、この例えば、所有している鉱物標本などといった「モノ」を、生きている人がどう思うか? ...といった視点に立って、「モノ」を見ることが最近多くなった。こう思ってしまうと、身のまわりにある「モノ」たちが自分の購入したもの、所有物であっても、自分のものでないような感覚になる。ご賢察のとおり、これらは壊したり、捨てたりしない限り、自分の生命が消失しても、まだしばらくは存在し続ける。自分が生きていれば、自分の所有物ではあるが、死んでしまうと、何も意味をなさないのではあるまいか? 「モノ」は人間より長生きできる。その点には、ロマンみたいなものを感じるものの、一方で、「モノ」を蒐集するとかいった行為が無意味・無価値で、虚しいことなのだという自己矛盾した思いもある。これは、亡くなった母や、伯母、伯父、あるいはあの悪名高い酒乱だった父が生きていた頃にフツーに存在して、使用していたりした「モノ」が、今現在、運よく生きている、この私が目の当たりにしている状況を思うことによって得られた視点である。いやべつに、特別なことではないとは思うが、とても、不思議な感覚なのだ。あの人たちがこの世からいなくなったというのに、これらは、まだ存在しているのかと。そう思うと、生命、いのちのはかなさというか、私自身の命も、何かを考えたり、悩んだり、仕事をしたりの、日々の生活いっさいが奇跡のようなこと、否、奇跡そのものなのだと思えてくる。

「奇跡の生命」

人間だけではない、ほかの生き物たちの命も尊さでは同じこと、同等、等しいのだと、私は思っている。だから、小さな虫けらを、例えば、とても小さな名も無いような羽虫が机上をチョロチョロ散歩しているのをつぶして殺したりなんかすると、とても申し訳ない、残念な気持ちになる。だから、たとえ虫でも、むやみな殺生はしないようにしている。故・手塚治虫(敬称略)のアニメーション映画「火の鳥・鳳凰編」のまさに、ガオウが激昂して殺したハヤメが、助けてやったテントウムシだったことに気づいたときに感じたであろう感情と非常によく似ている。この映画からは、生命のはかなさ、そこからくる、「愛」の永遠さと、同じく、はかなさ、かけがえのなさ、うまく言えないものの、そういうものを感じて、とても、やりきれない思いに駆られる。(...この映画は、水面文庫のYouTubeチャンネルに保存してあります)普段から、母の遺品や前述の鉱物標本といった「モノ」、物体、物質というのは常に目に見えるもの(生命は死んでしまうと目に見えない)だからか、物質よりも、生命のほうに無常観を死ぬほど強烈に感じてしまう。長い目で見ると物質もまた無常であるとは思うが、ふとしたときにそういう感覚(生命と物質はフェアではないという感覚)に襲われると、普通のことのようで、普通でないような気がして、穏やかに、日々を暮らすことができない。私事ながら、このことはちょっとした困りごとになっている。四十路なかばで、これでいいのだろうかと多少心配である...(汗)。

私のことはさておき、あなたも、この生命と物質、有機物と無機物とも言えると思うが、この二つのことについて、思いをめぐらせる能力があるうちに、ぜひ、思いをめぐらせてみてほしい。おそらく、不思議感覚不可避に違いない。その感覚が、なんのためになるかは、人それぞれ、まさに、あなた次第である。ただ、私のように、漠然とした不安に襲われないように、その感覚を生きる糧、力にするなど、何事も前向きに考えてほしい。
 


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